『恥ずかしい』は自分の都合。

わたしは『恥ずかしがり屋』とよくまわりから言われていて、あいさつもできない、レジに商品を持っていくこともできない、人見知りの大変激しい子どもだった。

 

あるとき、『恥ずかしくてできない』というのは『自分を守るためだ』ということに気づく。

 

自分を良く見せたい、バカにされたくない、批判されたくないなど根底に潜む自分のエゴからの感情だと知ったときは衝撃を受けた。

 

『恥ずかしい』と思える感情と向き合い、それを克服することが自分を成長させる糧になる。

 

洋服のコーディネートの画像を撮るときも、

ダサいと思われないか、変なヤツだと思われないか、たいして美人でもない、スタイルも良くないのに・・・と思われないかなど、さまざまな思考がよぎった。

 

けれど、それらはあくまでも自分のエゴであり、それを見てくれる人たち、情報が欲しい人たちのことを考えると『恥ずかしい』という感情を乗り越えられた。

 

『ただ単にやりたくないこと』と、『恥ずかしいからやらないこと』では全く意味が違う。

 

恥ずかしいからやらないことはなにか、自分の心に聞いてみて克服していくと、自分の可能性が広がり見える景色が変わってくる。

 

おまけ。

 

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梅雨の中休み。

 

改めて太陽のありがたみをしみじみ。