『信頼』を渡す機会。

コロナ禍における特別定額給付金は、本人たちの希望通り、子どもたちにそれぞれ10万円ずつ配分。

 

塾にほとんど行かず、大学進学率の高い公立高校に進学、さらに現役で国公立大の工学部に進んだ子どもたち。

 

お金をかけず、ほぼ独学で安定の学力を育んできた彼らに渡す金額は10万円ずつでは足りないくらいだ。

 

しかしながらこれらのことは建て前的な後付けの理由であり、ここからは本音の理由になる。

 

以前、実家の管理している土地の一つが売れると、父がわたしと妹に100万円ずつポンとくれたことがある。

 

たいていの親は子どもの将来を思うあまり、

 

「貯金しておきなさい。」

「ムダ遣いをしてはダメ。」

 

などと言い、具体的なマネーリテラシーを掲げることもなくお金を渡す場面をよく見受ける。

 

そんな抽象的なセリフを浴び続けると、子どもは

 

「自分は(親から)信頼されていない。」

 

と受け取り、自分の価値を自ずと下げてしまうものだ。

 

自己価値を下げるとお金を受け取れない人間になってしまい、本末転倒に。

 

わたしは親からまとまったお金を何もせずにもらうことで、自分が『親から信頼されている』ことを体感した。

 

親から無条件に信頼されることは、子どもにとって何よりも嬉しいものだ。

 

なので、100万円とはいかずとも、この感覚を子どもたちに知ってもらう良い機会となったことはありがたい。

 

親は子どもたちに常に『愛』と並行して『信頼』を渡し続けるだけで良い。

 

おまけ。

 

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散歩時、『フランフラン』のミニファンが大いに活躍。

 

日傘のシャフトに差し込んで優雅に涼む。