自分の無力さを知ったとき、まわりの支えてくれていた人たちのありがたさに気づく。
まわりを頼ることに『許可』が下りると、
・自分を良く見せよう
・しっかりしなくては
・がんばりつづけなくては
という自己暗示から解放される。
自分をゆるめてフラットな状態にすると、そこからフツフツと「なにか自分にできることはないか」と探し始めるものだ。
本当の幸せや充実感は自分が『してもらった』ことより『やらせてもらった』、つまり、『与えた』ときに湧いてくる。
ファッションを媒体にして、『与える』ことをいつも意識しながら仕事をしたい。
他人の時間やお金をただ搾取する仕事は、やっていても虚しく、常に他人軸で生きることになる。
そこから得られるものは自分への嫌悪感と他人への罪悪感だ。
ちいさなことで良いので、きょう一日、自分が他人に与えられるモノを意識してみる。
人と人とのつながりはほんの些細な『与え合い」から生まれる。
おまけ。
毎週末は賑わう道の駅も、雨でしんと静まり返る。
そのせいか、池の噴水がいつもより勢い良く見えた。